最近あるきっかけを通じてERPに興味を持ち始めているが、図書館に行ってようやく見つけてきた本がこれだった。
正直内容が抽象的でよくわからない部分も多いのだが、その中で心に引っかかる内容が出てきた。
「例えば欧米の企業では、パッケージソフトの導入を自社でやってしまう会社が多く存在します。・・・それで“凄いですね”と言うと、“それが当り前ではないのですか”と逆に聞き返されてしまいます。欧米では、“自分たちで導入できないのなら、なんでパッケージソフトを使おうと考えるのか”という感覚なのでしょう。日本と欧米では、パッケージソフトに対する考え方が全く違うのです。
日本では、やはりパッケージソフトを情報システムという“聖域”としてとらえてしまい、そこはプロフェッショナルであるシステム開発会社や情報システム部門といった専門家がやるべきだ、という固定観念があるのです。・・・これでは、今後自分が使うことになるパッケージソフトの業務プロセスを理解することもできませんし、また導入後に使いこなすこともできません」
「この背景には「国民性」というものも関係しているのではないかと思います。例えば日本では、パッケージソフトを導入するとなった場合、まずパッケージソフト自体の検証から始めるのです。このパッケージソフトは本当に自社の業務プロセスに適しているのかと疑ってかかる。それだけで、約半年は時間をムダにしてしまいます。
一方、欧米では、パッケージソフトはベストプラクティス(最適な実践方法)の集合体なので、信用に足る導入実績などがあれば、それにそのまま乗っかればいいという発想です。・・・こうした発想を経営者自らが持っていて、パッケージソフトの導入をトップダウンで進めるのです。日本でこうした経営者が一般的になるためには、もう二世代ぐらい世代交代が進まないと難しいのではないかと思います。
しかし今の企業を取り巻く環境は、めまぐるしく変化しています。それに合わせて考え方も柔軟に変えていかなければ、将来の生き残りも難しくなってきます」
同書が指摘するように、「IT」は情報システムの専門家だけにしか扱えない専門的なものではなくなりつつある。結局、今までの日本の経営者はITを情報システムに「丸投げ」していたというのが実情だと。しかしこれからは「“道具”としてのITの機能を、経営トップや経営企画部門が十分に学習しておく必要がある」ということだ。決して「ITの技術的な成り立ちを理解するということではなく、そのITによってどんなことができるのかを知っておくということ」が重要となってくる。
ここまで読んで思ったこと。やはり日本人は基本的に「匠」の文化、つまり職人文化なのだなということだ。「匠」は「匠」の意向を尊重し、口出しをしない。情報システム部門は日本人にとって「匠」の領域となっていて、決して単なる「道具」とはみていないのだろう。これでは確かに欧米の経営者についていけないわけだ。
専門家に対する尊敬の念は決して悪いことではないし、それがあったがゆえに日本の高度成長時代も存立しえた。画一的なソフトウェアの世界に満足できず、独自の指向性を追求する国民性は十分理解できる。しかしそれは世界的にみれば異質な世界だし、別の意味でのムダを発生させる危険性を持っている。ここにバブル崩壊後の日本社会の凋落が象徴されていると感じるのは自分だけだろうか。
日本のレガシー文化である「匠」は残していくべき民族的遺産だ。しかし変化する世界に生きる我々に必要なのは、時代に対応する柔軟性だろう。つまり割り切れない部分と割り切れる部分を見定める能力が不可欠な時代となっていることを、日本国民全体が意識するようになることが必要だと思う。
「いい大学」といった空想の中で親も先生も思考停止状態となっているような教育体制、「いい会社」「安定した収入」への偏重に傾く社会的価値観、こういったものにいつまでもしがみつくことが国を滅ぼす要因となっていく。そこに国全体が気付いてこそ、日本人は世界に通用する人材を輩出できる国となるのではなかろうか?