「エンバーミング」の考察

エンバーマー

エンバーマー

  • 作者: 橋爪 謙一郎
  • 出版社/メーカー: 祥伝社
  • 発売日: 2009/01/28
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
数時間で一気に読みこんでしまった。
最近まで「エンバーミング」という言葉の意味を知らなかった。
いわゆる「ミイラ」に近い意味なのかなと思っていたのだが、実際には「おくりびと」に近い内容だったことが分かり非常に面白かった。
実際、著者は映画の製作にかかわっているところも初めて知った。
「エンバーミング」、それは遺体の修復と遺族のケアを総合的に提供するサービスである。
アメリカにはなんと「葬儀大学」なるものがある。
そこでは正に人間の精神と肉体の問題について非常に高度な知識を学ぶ機会があるという。
著者は葬儀屋の子供として生を受けたが、その環境に耐えられず上京してビジネスで成功する。
しかし最終的には自分の人生を賭ける生き方に目覚めて渡米。
日本人として初めてこの知識体系を学ぶ機会を得、帰国後にそれを展開している第一人者。
彼の功労により、日本でもようやく「グリーフケア」という概念が芽生えてきているようだ。
遺族を失った悲しみ、それを乗り越え人生を新たに出発するためのサポートを行うという、非常に奥の深いサービスである。
様々な課題はあるにせよ、こういうサービスをビジネス化し展開できる米国の力量には頭が下がる。
自分としては著書に記された彼の言葉に心を打たれた。
「子供向けのグリーフケア」という題目である。
「日本よりも進んでいると思われているアメリカでも、実は、子どもにきちんと「死」や「葬儀」について説明できない大人が多い」という。
しかし「子供が理解できないのではなく、それは、大人が、子供が理解できるように伝えられていないだけではないか」という回答を得るに至る。
著者の見解では、死生観については子供も大人も同じく共有できるという。
そして「自分自身を知らずに、相手と接していると、全てを自分の知っていることにあてはめようとする傾向、つまり「押しつけ」になる」と述べている。
我々はこのことを謙虚に見つめるべきではないだろうか?
現代社会で片隅に埋もれてしまっている「死生観」、これを見つめる感性は子供の方が強いかもしれない。
何のために生きているのか、そういう問いに対する感性は子供の意見に耳を傾けることでみえてくる部分もあると思う。
小さな子どもは親との関係が全てであり、それが人生の基本となるからである。
この根本的な関係性を基礎に置く人生こそ、我々が追求する幸福の基本にあるのではないだろうか?
ただこの社会は「グリーフケア」と呼ばれることからもわかるように、「死」が「悲しみ」という意味でしか捉える事の出来ない状態にある。
本当に「死」は「悲しみ」だけなのだろうか?
本来的にはこのレベルまで「死」の定義を行う必要があると思うのだが、我々人類は「死」に対する根本的な意義を見いだせず、歴史は流れてきたのである。
しかし徐々に変革の足音が近づき始めている時代に我々は生きているということもまた、紛れのない事実だと思う。
 
 

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